最近の動物愛護精神から、毛皮を買わない・持たない・使わないという主義の人が増えましたよね。私はその主義に対して勉強不足でかなり疎かったので、実はリアルファー素材の小物をいくつか持っています。
どちらかと言うと動物愛護主義。でも過度ではない
動物愛護の精神は素晴らしいし、動物を虐待することにはもちろん反対です。ネットのおかげで知らなかった事実をたくさん知ることができ、自分の今までの意識の低さを認識することもたくさんあります。
ネットの情報が100%正しいとは思いませんが、そんなに嘘を書くような記事でもないものは信じることにしています。動物虐待の話は残酷すぎて見られないものもありましたが、考えさせられることだらけです。
私は過度な動物愛護に関してはちょっと俯瞰で見てしまうところがあり、動物を人間の家族のように扱うことには違和感を覚える方です。犬は犬だし、猫は猫だし、人間は人間です。区別は必要だと思っています。
もちろん配慮はしますが、ペットをオス・メスと呼ぶことに嫌悪感はないです。エサもエサでいいと思っています。かと言ってごはんと呼ぶことに反対というわけでもないです。男の子・女の子という呼び方でもいいです。どっちでもいいかな~というスタンスです。
自分のかわいいペットにエサって言うなんて考えられない!という人に対しても、全然それでいいと思っています。ペットという言葉さえも許せなくて「家族」と呼ぶ人がいても全然OKです。
自分の価値観を他人にも強要するのは違うと思うので、個人の考えはどうぞご自由にと言う感じです。正直ペットが死んでしまった時も「死んだ」という言葉でも平気ですが、周りを配慮して「虹の橋を渡った」という表現にしています。配慮は大切です。
リアルファーに対する考え
20歳くらいの頃に買ったラビットファーのマフラー。色はグレーとホワイトのミックスで、もこもこしていて、手触りが良くて暖かくてかわいくて本当にお気に入りだったんです。安かったですよ。2千円くらい。大切に使っていたので、20年近く経った今でも全然へたってなくてまだまだ使えます。今もクローゼットに掛けてあって、大切にしています。
フォックスファーのティペットも持っています。これも15年くらい前に買ったと思います。やっとインターネットが家庭にも普及され始めた頃です。わが家にはまだ導入されてませんでした。だからと言うと言い訳になりますが、20代前半だか半ばだかで、そんな思慮深さもなく、何も考えずにただ手触りがいいから欲しいと思って買いました。
最近になって、リアルファーがどんなに残酷な取られ方としているのかを知りました。生きたまま皮を剥がれるとか、不衛生な場所で飼育…というよりただ生かしてるだけという経営者もいる現状も知りました。そんな経営者がすべてではないと思いますが、私が買ったファーは安かったのできっとそんな場所で作られた物だと思います。知らなかったとはいえ、現状を知った今はもう絶対買わないようにしようと決めています。
でもこれも個人の自由なので、私は買わないことを決めたけど、買う人がいても使う人がいても、それはその人の考えなのでそれでいいと思います。ただ自分は買わないだけです。ベジタリアンの人もいれば、お肉を食べる人もいる。同じですよね。(私はお肉も魚も食べます)
リアルファーを買うことも使うことも犯罪ではないし、誰にもその権利を止められません。使ってる人がいても何とも思いません。啓発する人がいても良いと思います。事実を知って考えを巡らせるのは良いことです。
でも私の知り合いで動物愛護に熱心な人がいるので、私は使いづらい状況ではあります。個人の自由と思いつつ、相手が嫌がることはしたくない。その狭間で揺れています。
家にあるリアルファーはどうすればいいの?
もうリアルファーは買わないと決めたけど、今持ってるファーはどうすりゃいいの?使うことが一番の方法だとは思っています。でもリアルファーを使うことすら許せない動物愛護の人たちは、使用することを嫌がるでしょうね。この人はファー容認派なんだと思われるでしょうね。
なんか誤解されてる気分で気が進まない。使いづらい。そう思ってしまいます。私はもう買わないと決めたのに。
でも捨てるなんて考えられない。捨ててしまうことこそ、その動物が無駄死にになってしまうので、使わないからと言って捨てるという選択肢はあり得ません。
でも使わないまま置いててもタンスの肥やしになるだけ。
大切なら使い続けるのが一番良いような気がする。ボロボロになるまで使うのが一番の供養な気がする。
というかそもそも誰に気を遣って生きてるのだ私は。
使いたいなら使えばいいじゃん。買った当時は無知だったけど、買うことは犯罪ではないんだし。使うことが動物に対する敬意だと自分でわかってるのなら使えばいいじゃない。誰にビビッているのだ。
でもでも、やっぱり今の私はもうファーは買わないと決めたの。今は買う事をやめていても、使っているのならそれは同じと思われるんじゃない?それはなんか嫌なの。
結局あっとは人目と世間体ばかり気にしてるだけなんじゃないの?それを供養だと思うなら、大切にしているなら、敬意だと思うなら、使うことに何も恥じることはないんじゃないの?
と、ブログで公開一人芝居を繰り広げていますが、このブログはあっとアットホームなひとりごとというタイトルだから一人芝居もOK。( ̄▽ ̄)あっと演芸場へようこそ
まとめ
正しい解決方法はわかりませんが、自分なりに出した答えは。
これからも使います!!!
大切にしているから。堂々と使えばいいじゃん!大切だからメルカリにも出さないよ!(やったことないけど…) 最後まで、ボロボロになるまで、自分の責任で使いますよ。
だから動物愛護主義やリアルファー反対の人も、こういう経緯で使い続けてる人もいると知ってもらえればそれでいいかなと思ってこのトピックを作りました。こんな気持ちの人たくさんいると思います。この気持ちが反対派の人にも、容認派の人にも伝わればいいなと願います。
ペットも、リアルファーも、レザー製品も、精肉も、手にした人は最後まで責任持って育てる・使う・食べることが大切ですね。
7~8年使わないままだったラビットファーとフォックスファー。今年から再登板です。
コメント
突然すみません。
記事を拝見して、まさに自分が今悩んでいることにドンピシャすぎて、おまけにヒントになり感謝しています。興味深くよませていただきました。
私は30代女性です。
若くて今より無知であった頃購入したフォックスファーのマフラーが、とてもとても暖かくて10年たってもふわふわで大切にしていました。
ファーが流行っていましたしマフラーくらいならと、今ほど罪悪感がなかったのです。
その他にブランドもののレッキスのベストと、襟と袖がファーになったお気に入りのコートがあります。毛皮は本当に何年たってもきれいなままでびっくりします。
毛皮反対の流れがつよくなり、ファーをもつだけで悪いことをしているような気持ちになってきました。今では出番もなくなりました。
そうおもうことで、持っているのが嫌になってしまいました。
私も新たにはもう購入しませんが、
昔にかった手元に残っているものを
これからどうしようか悩んでいます。
残酷に作られたことはわかっているのですが、手に取るとどうにもこれをごみにして捨てるというきもちになれないのです。
メルカリや買い取り業者に売っても人手にわたるだけで、なにがかわるのかと。
生きたまま皮を剥ぐのはあまりにも残酷ですが、動物の犠牲を考えるときりがなくなってしまいます。
わかりやすい毛皮だけとりあげるのも違うようなきがしています。
主様のおっしゃったように 自分が分かっていて、どんな考えでみにつけているかでいいのかもしれないとおもいました。
ウールを生産するためのミュールシングという行為を知りましたが、じゃあウールを避けてポリエステルだけでいけるかどうかといったら自信がないです。
化粧品や医薬品、メイクブラシの動物毛、娯楽のために利用される動物も、常日頃食べている保存食品、肉、乳製品、ペットがどの様にショップに並ぶのにどれ程の苦痛が裏側にあるか。
いきていれば生き物の犠牲は避けられない。
それを私たちはせめて大切にしているだとか、命のこさるたべるとかの理論で正当化するしかありません。
どれも人間の都合ですが。
肉や乳製品をたべなくても生きてはいけます、
ですがそれを断つことを選ばないのは簡単なことではないからです。
かわいいペットを買わないこともできないから、
理由をつけて正当化するのが人間の弱さです。
食べるためだかいい、ファッションはだめだというのも違うようなきがしています。
食を選ぶかファッションを選ぶか、どちらも止めるか、それは価値観の違いで、
食も、ファッションも、人の心を豊かにします。
肉を食べなくても、毛皮を着なくてもいきていけるでも豊かになるからそれをする。
肉や卵をたべなくても十分いきていけますもの。
感謝をしてかみしめて残さず食べれば、動物が報われるかといったらちがうきがしますし。
毛皮をきる人はそれでも着たいからきるのでしょう。ですので批判ができません。
よませていただいて少し落とし所がわかりました。
私もいま手元にある3着の毛皮製品は捨てないようにしようとおもっています。
せめてちゃんと最後まで責任をもっていこうと。
必要なことは事実を知ったうえで
価値観のおしつけになってしまうんではなく、個々で何を選ぶかなんですね。
本当に動物のことをおもうのであれば、
ミンクからできているまつげエクステも化粧品も冬ウールのコートも肉卵もとらずアニマルフリーな生活をするしかない…
心を痛めて全てをたつことに挑戦しましたが2年ももちませんでした。(*_*;
人間とは愚かで弱い生き物で…動物を犠牲にし、言い訳をしながらでなければいきられません。
今では自分ができる範囲のことをしていきたいと
自分ルールをさだめました。
そのなかにいま手元にあるものは大切にすることと、そしてひとのことを批判しない。
毛皮をきたりウールを着て、革靴をはいている人になにも思わないです。
知った上で自分がなにを選ぶかなんですね
ネットで色々と検索していた時に
ブログの記事をたまたま目にし、なんだか、とてもとても、はげみになりました!
ありがとうございました。
なおさん、コメントありがとうございます。じっくり読ませていただきました。動物愛護は人によってその度合いが違うので、自分の基準に合わないからと言って批判するのはいけないですよね。動物愛護も哺乳類は愛護して蚊を退治する事は厭わないのか?とつっこみ始めたら本当にキリがないですもんね。頂いた命を無駄にしない事が、命をもらう側の責任かなと思います。頂いた毛皮は最後まで大切に使いたいです。なおさんと共感できたこと嬉しく思います(^^)