子供がいない=子育ては無理。悪意のない失言に傷ついた話

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私は子供がいません。望んでもできませんでした。

かなりどん底まで落ちて悩みまくりましたが、今はなんとか落ち着いています。この現実を受け入れています。

でも子供がいないからといって、子供の面倒がみれないわけでは決してないのです。

私はある人から言われたこの言葉にちょっと(というかかなり)傷つきました。

目次

悪意のない一言に傷つく

市のやってるサークルに参加していたのですが、ある日一人の女性から突然声をかけられました。

保育系の仕事をしてくれる人を探してるんだけど、どう?あ、でもまだお子さん小さくてできないかな?

あっと

いえ、私子供いないんです。

あ…(一瞬何か悟る)、じゃあ子供苦手だよね。無理だね、ごめんね、誰かいい人いたらお願いします。

私はその人と話すのも初めてだし名前も知らなかった。急に話しかけられたと思ったら、

勝手に子供がいると思い込まれ、

いないと言ったら勝手に子供が苦手と判断され、

勝手に「この話はなかったことに」的なまとめに入り、

隣にいた私の知人(子持ち)の方だけに視線を送り、その仕事の条件等色々話し始めました。

彼女の目にもう私は映っていません。私はあぜんとして、ただぼーっと二人のやりとりを眺めてました。

私は子供いないけど、子供が苦手とは一言も言ってない。

いや、わかりますよ。
人手が足りなくて、即戦力(子育て経験のある人)がほしいことは。

サークルの時間内にたくさんの人に声かけて、誰かつかまえたい。その気持ちもわかってます。その女性に悪意はない。

わかってるけど傷ついた。
子供がいない女は子供の相手ができないと勝手に判断されたことに。

全然悪意なんてない。子供のいる人からしたら「子供がいない人に子供の面倒なんて怖くて任せられない」と思うでしょう。

子供がいる人が子供のいない人の気持ちなんて理解できない。

それもわかってる。全部わかってる。
でもなんか「子供いない=子供苦手=保育の仕事無理」と勝手に決めつけられたことが悲しい。

私にも少しは備わっているであろう母性をバッサリ斬られた気持ちになりました。

既婚者は子供がいて当たり前の概念

その女性に悪意がないことはわかってるけど、子供がいる人は「結婚指輪をしている=子供がいる」という考えになるんだなぁと思い知らされます。

全員がそんな考えの人じゃないことはわかってるけど、私が出会った子供のいる人の8割はこの考えでした。

子供がいる人は「お子さんはいますか?」ではなく、

「お子さんいくつ?」
「お子さん何人いるの?」

と聞いてきます。
仕事の面接でも「お子さんが帰ってくるまでの時間で大丈夫ですよ」と子供の有無も聞かずに言われました。

その度に「子供いないんです。」と答えると妙な空気が流れます。

子供いなくてすみませんという気持ちにさせられます。私が悪いんじゃないのに。

言った側も「まずいこと言っちゃった…」みたいな空気を作ります。

最初から「お子さんいますか?」と聞いてくれればこんな空気にならないのに。

まだまだこの世の中は、結婚してたら子供がいるのが当たり前なのです。

相手は悪気がないし、こっちが勝手に傷ついてるだけだし、本当は誰も悪くないし、言ってしまった側も気まずいし、この全員がやり切れない思いはどうしたらいいんでしょうね?(笑)

日本人の心にはまだまだ「大人の既定路線」があって、そこから外れている人は「普通じゃない」環境で、「かわいそうな人、気の毒な人」みたいな空気になりますよね。

独身の人も「まだ独身なんです」と、”まだ”という言葉をつけてしまう。結婚するのが当たり前という概念。

独身の女優などに「早く幸せになってほしい」というネット等のコメント。独身は幸せじゃないの?その女優は結婚しないと幸せじゃないって言ったのでしょうか?

「子供いないんです」と言うと「あ、”まだ”いないんだね。これからだね!」と取り繕われる。

”まだ”いないだけ、これから子供ができる、と子供を作るのが当たり前の概念。

この概念を変えていくのは難しいですよね。

「みんな同じ」じゃなくて、”みんな同じじゃない”、”既定路線なんてもうない”、という概念が広まらないと、子供がいない人は一生「お子さんいくつ?孫いくつ?」って聞かれ続けます。

子供ができない自分にやっと折り合いをつけたのに、他人からまだまだ自分の現実を突きつけられるのはキツイです。

そして勝手に私は子供の相手ができないと決めつけられるのもつらいです。

子供がいないと子育ての協力もできないの?

その女性はなぜか私を「子供が苦手」と決めつけてきました。

保育の仕事は重い責任がのしかかります。

わかってます。預かり中に少しでも不備があったら大変なことになる。

子育てのベテラン、子育ての達人じゃないと安心できないのでしょう。わかります。

私のような保育の資格保持者でもない、子育ての経験もない人間に、大切な子供を預けるなんて嫌だと思います。

でも勝手に子供が苦手とは決めつけてほしくなかった。

子育て経験なくても子供好きな人はいるでしょう。

どうして勝手に子供が苦手と判断したのか謎です。(もしかしたら断る口実を作りたかったのかも知れないですね。打診してきたのそっちなのに)

私は確かに子供と接する機会は少ないです。

甥っ子も姪っ子もいないので、本当に子育て経験ゼロです。

でも苦手ではない。子供はかわいいと思ってます。

一時期は子供を見るのもつらかったけど、今はむしろ子供とふれあいたい!

他人だけど子供たちに愛情注ぎたい!
他人の大人も地域の子供を見守ってることを知ってほしい!
このあふれる母性をどうすればいいのかわからない!

保育の仕事は子供が好きなだけでは務まらないでしょう。

子供の特性や向き合い方、物理的な世話の方法も知らないと務まらないでしょう。

でも子供が嫌いな人にこそ子育てなんて任せられないんじゃないでしょうか。

どうせなら子供に愛情を注げる人に子育て協力してほしいですよね。

子供がいない私なんて、「自分の子供命!」「自分の子供がいちばん可愛い!」になんてなりようがないから、他人の子供も平等に可愛がることができますよ。

それに私は親目線で子供を見ることができません。

どちらかと言うと子供と同じ視点です。だから子供とすぐ友達になれます。けっこう子供から人気あるんです。

人様の大切な子供という認識ももちろんあります。

子供を望んでもできなかった立場だから、子供ってどんなに奇跡で大切かということもわかっています。

自分に子供がいない分、盲目にならずに冷静に色々見ています。

客観的だからこそわかることもあるでしょう。

そんなに真剣に子供のことを考えている私でも、子供がいないと子育て協力しちゃだめなのかぁと悲しくなります。

まとめ

う~~ん、正直この悲しい気持ちをまとめられる言葉はないです。

悪意のない言葉に傷つけられる。
相手に配慮を求めるほどのことでもない。
でも悲しい思いはした。

「子供がいない=子供が苦手」という図式ができてしまったその人と話をしてしまったことが私の不運だったと思うしかないです。

こんな考えにならないように自分は気をつけなきゃなと勉強しました。

今まで落ち着いていた不妊の気持ちがまたよみがえって、その日はどうしようもなくつらかったけど、夜中涙を流したらすっきりしました。

こうやって、これからも一生かけて、悪意のない失言に傷つけられてはやり過ごしていくのかな。

不妊に悩んだ人、折り合い付けた人、これからもなんとかやり過ごしていきましょうね。

同じ思いしてがんばって生きてる仲間は全国、全世界にたくさんいるはず!

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この記事を書いた人

40代転勤族妻。
最近はちいかわブログになりつつありますが、
転勤族専業主婦がおひとりさまを楽しむブログです。夫婦で旅行も楽しんでます。
何かしら皆様のお役に立つ情報をお届けしたいと思います。
(実践は自己責任でお願いします )

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