ブラックフェイスから考える差別問題と捉え方

当ページのリンクには広告が含まれています。

年末の笑ってはいけないで浜ちゃんがエディマーフィーに扮した事が世界的な問題になってしまいましたね。

私は番組を見てないので詳細はわからないのですが、ポリスの制服に着替える時のオチが浜ちゃんのビバリーヒルズコップだったってことのようです。

写真も見ましたが、正直その時点で私には何が問題なのかわかりませんでした。

でもふと2~3ヶ月前に私自身がまさにこれと同じ問題に直面したことを思い出しました。

*このトピックではアフリカ系人種を総称して黒人と表現します。ご了承ください。

目次

事の発端は松崎しげるのポテトチップス

これは私の周りの話ですごく小さな物議なのですが、私の友人(東南アジア出身)が、松崎しげる監修のポテトチップスの写真をあるSNSにアップして

「これってどうなの?すごく失礼なんだけど」

と英語で書いていました。(画像が用意できないので知りたい人は検索してください。黒い袋に松崎しげるの笑顔がプリントされています)

その人の友達(日本人以外)は「うわぁ…」とか「失礼にもほどがある」と言った英語のコメントを付けていましたが、日本人の友達は、一生懸命松崎しげるがどういう人物で、黒人を貶めたものではないことを同じく英語で伝えました。

私は最初、彼の投稿を見て一体何が問題なのか、何が失礼なのかまったくわかりませんでした。

でも彼の友人のコメントのやり取りを読んでるうちに、「あ、これは黒人差別と勘違いしているんだ」と気づき、私も黒人差別ではない旨を説明しました。

その東南アジア人の友達は「言いたいことはわかるけど、それは日本人にしかわからないことで、世界の人が見たらやっぱり黒人差別にしか思えなくてとてもrude(非礼)だよ。納得はできない」と返信していました。

結局お互いに「言いたいことはわかったけど納得はできない」という形でもやもやとしながらこのディベートは終了しました。

この時点で私はまだ「blacface(ブラックフェイス)」という言葉を知りませんでした。

なので私は、

「どうしてこの人はこんなに黒人差別と一緒にしたがるんだろう?これは松崎しげるが面白いのであって、誰も『黒人みたいでウケる~~(笑) 黒人バカにして笑うの面白~い!やめらんな~い!』って思ったんじゃないのに。松崎しげるは黒人なのか?日本人と思われてないのか?このポテトチップスは世界に向けて『黒人面白いでしょ~?』って販売したのか?こじつけじゃないの?」

と、とにかく意味がわからなくてなんだか腹が立っていました。

浜ちゃんのエディマーフィーでブラックフェイスの意味を知る

そして2017年大晦日の「笑ってはいけない」で浜ちゃん扮するエディマーフィーに、在日黒人作家が問題提起をしたことでその差別の意味を知りました。

黒人以外の人種(正確には白人)が顔を黒く塗ることをblackfaceと言い、黒人に対する酷い侮辱行為になります。

この問題を知っても私はやっぱり納得できませんでした。

エディマーフィーの物まねをすることがどうして悪いことなんだろう?

これはエディマーフィーになっちゃった”浜ちゃん”が面白いわけで、エディマーフィーをバカにしてるわけでも、ましてや黒人をバカにして笑ってるわけでもないのに。

これを「奴隷人種の黒人になるなんて面白すぎ~~!」と日本人が指さして笑ったのなら大問題です。絶対ダメです。でも誰もそんな偏見を持って笑ってないですよね。
*歴史はおいといて、奴隷人種だなんて1ミクロンも思ってないですよ

問題提起した黒人作家のツイッターのコメント欄で、別の黒人男性から「Is it for real? (これは本当のことなのか?)」と信じられないと言った感じのコメントがありました。

そして作家は「これをアニメか現実の人間かという意味で質問しているなら答えは『リアル』だ。そして本当にこの現実が起きてしまっている」というような返信をしていました。

するとその黒人男性は「こいつを今すぐここに連れてこい」とコメントして、このやりとりは終了していました。

やっぱり黒人がこれを見ると黒人を侮辱していると取るんだなと理解しましたが、浜ちゃんを「ここに連れて」行ったらボコボコにするんですかね。

そんなことしたらさらに黒人差別を助長すると思うのですが…。

どんな理由であれブラックフェイスに弁解は通用しない

日本人に何も悪意はなくても究極の侮辱になってしまう。

日本人の概念に存在しないものをダメと言われてもわからないですよね。

例えるなら、ネイティブアメリカンやハワイアンに白人の入植者が「お前らは男女ともにそんな裸同然のカッコをして恥ずかしいと思わないのか!なんて野蛮で汚らわしい。服を着なさい!」と無理やり服を着させたのと同じです。

きっと先住民たちは「え?汚らわしいの?これで普通に生活してたのに?」と思ったことでしょう。

同じように日本に来た欧米人が「日本人のそばを音立ててすする行為が信じられない!なんて汚いんだ!許せない!今すぐやめて!」と怒ってるのと同じですよね。

日本人からしたら「え?音立てない方がまずそうで失礼なんだけど?」ってもんです。

今まで失礼だと思ったこともない行為を失礼と言われても理解できません。

人の家に来て自分のルール押し付けられても意味が分かりません。

なのでこれはどう考えても黒人側の誤解だと思うのですが、今回の件で顔を黒く塗ったという事だけが事実であり、顔を黒く塗るという事は何を置いても黒人差別であると結論づけられるということを学びました。

故意か不可抗力かなんてどうでもよくて、やってしまった事実が絶対悪なのだと知りました。

松崎しげるチップスをrudeだと言った私の友人の言葉の意味も理解しました。

理解はしましたが、こんなことでいいのでしょうか。

顔を黒く塗る行為がダメなのなら、日本で昔から遊ばれている羽根つきにもクレームが入るのですか?

あれは昔々の日本の遊びです。羽根つきに失敗したら顔に墨で×や○を書かれます。

よく顔が真っ黒になっちゃった!と言って笑うオチがありますが、あれは黒人を侮辱していたのですか?鎖国の時代に?

たまたま墨の色が黒かっただけで、昔々の墨が青や茶色だったら顔中青く塗られた姿が面白くて笑ってたでしょう。

この日本の文化も黒人差別になってしまうのですか?

今後テレビで羽根つきするコントは消えてしまうんでしょうね。

文化を輸入するとぎこちなくなる

日本にもアイヌ迫害や、単一民族国家と発言した問題があることも承知ですが、

黒人差別問題は完全に海外から輸入されたものです。

自分の文化になかったもの、自分の体にしみついてなかったものを取り入れると非常にぎこちないものになってしまいます。

クリスマスも日本にない文化だったので、なぜか恋人と過ごす日になっています。バレンタインデーも女性がチョコを配る日になりました。ハロウィーンも渋谷の交差点で大騒ぎする日です。

海外の和食レストランでは日本では見たことがない過剰な日本演出がされているし、日本式の挨拶はインドの「ナマステ」になってます。

そしてこのブラックフェイス問題は、欧米のチップの文化に似ていると思っています。

日本人の体にチップの文化はしみついてません。

なので海外旅行に行くと「チップはいくら渡せばいいの?」「え?これはチップを渡さないといけない行動?」「この人にはチップは渡さなくていいの?」とすごく迷うと思うんです。

で、よくわからなくて必要以上にチップを渡しまくったり、逆に渡すのを忘れてしまって顰蹙を買ったり。

これを黒人差別に置き換えると「これはブラックフェイスになっちゃうの?」「どこまで配慮すればいいの?」「この人に笑顔を向けたら笑ってると思われちゃう?」と、わけがわからなくなって黒人と接するのをやめてしまうかもしれません。

エディマーフィーのようなコメディ俳優の映画は笑っていいのかわからなくなります。

副島淳の名前と顔のギャップギャグへのツッコミも封印されるかもしれません。

私の外国人の友人たちは街なかで大きな声で「ヤ○ザ」の話をします。

私は「それは大きな声で言う言葉じゃないから!大変なことになっちゃうからダメ!」とここには書きませんがちゃんと理由を説明しても、友人たちは心からは理解してないのでやっぱり面白がって「ヤ○ザ!」「ヤ○ザ!」と連呼します。

私が慌てる姿が面白いのです。ほんと私の命を思うならやめてほしいです。

海外の人だって日本の文化を知らないでこんな行動するんだからやっぱりお互い様ですよね。

差別は教えられて生まれる

私は子供の頃、(今思うと)日本とどこかの国のハーフの子と友達になりました。

彼女は私よりも目鼻立ちがはっきりしてましたが、それが彼女の顔だと認識しただけで「あぁ、この子はハーフなんだ」と思った事もないです。

彼女がハーフである事は私には何も関係のない事で、ただただ私はこの子と仲良しで遊ぶのが楽しかったです。

今考えると学生時代に在日韓国人、朝鮮人のクラスメイトも何人かいたと思います。

でもその人達は日本の名前だったし、私は何も気づきませんでした。

その人達はどう思ってたかは知りませんが、当時はクラスみんなで仲良くしていたし(合う合わないでグループに分かれる事はありましたが)、学校の先生も「この子は韓国人だから差別せずに仲良くしなさい」なんて事も一言も言いませんでした。

なので、私は誰がナニジンかなんてどうでもよくて(というか知らなくて)、ただ学校でみんなと普通に過ごしました。

もし先生から「絶対に差別してはいけない」と言われながら生活していたら、逆にすごく意識をしてしまって、「この人は〇〇人だから差別しちゃいけないんだ」と思い込む差別をしていたと思います。

なので私はこう思うのです。

差別するなという概念の植え付けが、差別を作っているのだと。

知らなければ仲良しでいられるのです。ナニジンだからではなく、その人個人の人間性を見て、この人とは気が合う・合わない、この人が好き・嫌い、と感じる事ができると思うのです。

もし仮に、世界中の人から「歴史」という授業を奪ったら、むしろ世界は平和になるんじゃないでしょうか。

昔、黒人は白人から迫害を受けた。イギリスとフランスはずっと戦争してたから仲が悪い。ユダヤ人も迫害を受け続けた。日本は戦争に負けたから永遠にアメリカの犬だ…云々。

この歴史を学ばなかったら、人種差別ってないかもしれない。みんな対等だったかもしれない。

いや、歴史というより、先人の怨念を受け継がなかったら平和でいられるのかも。

変に意識すればするほど、差別は助長されていきます。

腫れ物に触るかのような扱いを受けて、逆差別になるのでは?

もしくは触らぬ神に祟りなしで、関わろうとしなくなったり。そうなるとまた「みんな私を無視する!私が黒人だからだ!」と差別されてることを声高に叫ぶのでしょうか。

黒人だから問題が大きくなっているけど、これは友達関係でも同じですよね。

不妊の人が「私は不妊でかわいそうなんだから気を遣って!」と言えば、みんな気を遣ってその人の前で子供の話をしなくなります。

妊娠しても報告することにためらってしまい、その人に報告できないでいると今度は「私には妊娠報告されなかった。私が不妊だから嫉妬すると思われてるんだ!」と言い出したら、周りはもうどうしろっちゅーねん!と言いたくなります。

差別の問題から抜け出したいなら本人も変わらないと。

相手だけに責任を負わせるのはちょっとわがままです。

今回のblackfaceの件では、直接奴隷被害を受けた相手でないなら、分かり合う努力も必要です。

特に日本人の場合多くの人が黒人を「かっこいい、憧れの存在」と思っているのに、それを訴えてもわかろうとしないのはそちら側に歩み寄る気がないのだと判断されると思うのです。

でもアメリカ人はディベートが大好きで、そのディベートは自分が勝ってこそのものなので、この問題をいくら日本人が一生懸命説明しても絶対に折れないでしょう。

この問題をこれ以上騒ぐのは不毛です。絶対に日本人が負けます。

NHKドラマTHIS IS USに見た黒人優遇

私は昨秋からNHKでやっているアメリカのドラマ「THIS IS US 36歳これから」を毎週見ています。

ちょっとネタバレになりますので、知りたくない人はこの項目は読まないでくださいね。

このドラマは三つ子を授かった白人夫婦が、残念ながら出産時に一人だけ亡くしてしまい、同じ日に捨て子として同じ病院に預けられた黒人の赤ちゃんを養子にして育て、その三つ子が36歳になった今、それぞれの自分の人生の葛藤と闘いながら生活していく様子を描いています。

私は単にドラマを楽しんでいました。自分と同じ年代の人たちの葛藤は世界共通だなと共感したし、黒人差別の話も描かれていて色々知ることがありました。

でも今回のブラックフェイスとアメリカでの黒人にとても配慮している事実を知って、このドラマの意味もよくわかりました。

三つ子の黒人の男の子ランダルは非常に優秀なんです。

他の白人の二人とはかけ離れた頭脳を持っていて、でもランダルは他の二人が嫌な思いをしないように頭が悪いふりをしています。

小学校の先生がランダルの才能を見抜き、転校させるべきと両親に伝えます。

そして大人になった三つ子は、白人の長男は幼少からランダルを嫌っていて、大人になってものらりくらりとしている売れない俳優(独身)、白人の長女は超肥満ゆえの自分の醜さに悩み続け(独身)、黒人のランダルは超エリート会社に就職して大きな家を持ち美人な黒人の奥さんとかわいい女の子2人に恵まれた生活をしています。

長男長女は自分の性格や精神的な弱さ・未熟さに悩むのですが、ランダルだけは人間的に素晴らしく、何一つ非がないのです。悩みはただ黒人に生まれたこと。

大好きなドラマでしたが、ちょっと見方が変わってしまいました。

過剰な黒人優遇は白人からの不満や反発が心配です。

また違う理由で黒人差別が始まってしまうと思うのです。

これでは黒人も白人もどちらも幸せじゃなく、真の解決にはならないですよね。

まとめ

私は今回のことで今まで頭の中に一切なかった「ブラックフェイスという黒人差別」を知り、頭の中に刻まれました。洗脳されました。

すごく悲しいことです。日本の多くの人も同じ状態だと思います。

これから黒人にどれくらい配慮をしながら生活すればいいのか正直戸惑ってます。

同じく他の弱者と言われる人への接し方も一層センシティブなものになるでしょう。

でも人は時に、気にしない、乗り越えるスキルも必要です。

自分の境遇の不幸を嘆くより、その境遇を変化させて幸せになる方がよっぽど精神的にも良いと思うのです。

黒人差別の歴史がそんなに簡単なものじゃないとしても、障がい者や不妊の人たちの心が深く傷ついていたとしても、やっぱり乗り越えないと自分を救う手段はありません。

先人の怨念や他人の「悪意のない」言動に泣かされるより、自分を愛してあげて、自分に誇りを持ってあげないと、自分がかわいそうです。

男でも女でもどんな人種でも、他人に振り回され過ぎず、自分の為に、自分がhappyになる為に生きてほしいし、生きていきたいと思います。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

40代転勤族妻。
最近はちいかわブログになりつつありますが、
転勤族専業主婦がおひとりさまを楽しむブログです。夫婦で旅行も楽しんでます。
何かしら皆様のお役に立つ情報をお届けしたいと思います。
(実践は自己責任でお願いします )

コメント

コメントする

目次